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先日の新潟中越地震支援の記事でもちょっと触れましたが、今、この時期に、自らの意志で旅行先としてイラクを選び、そして人質となっていた24歳の日本人男性が、遺体で発見されました。(詳しくはExcite エキサイト : 政治ニュース参照。)
私は、命を助けることを生業とする者の一人として、彼の行動が残念でならない。 彼は なぜ 自分探しのために 一人でイラクに行かなければならないと思ったのか? 私には5歳年下の弟がいるのですが、彼は20ー21歳の頃いわゆるプータローな生活をしていました。実家に住み、アルバイトで小遣いを稼ぎ、何をするでもなく毎日テレビを見ているかゲームをしているだけの生活。そう言う生活になったのには理由はあったのですが、その頃小児内科で主に腫瘍科(いわゆる小児癌)の子供達の看護をしていた私にとっては、弟の行動は呆れるというよりも腹立たしかった。 一度、本人に向かって、 「15歳で、やりたいことも、知りたいことも、まだまだ山とある中で 死んでいく子供達がいるのに、あんたは何してるの? 何もやる気がないなら、あの子達と変わってあげてよ。」 と、本気で言いました。 うちは父親がいない、母と私、そして妹の女家庭なので、こういう時にびしっと締めることが難しい。しかし一人息子に甘い母親も、一年後には堪忍袋の緒が切れた私と結託し、彼を自衛隊の試験に送り込み、家から放り出した。(後々弟には、「あの時は、もう、帰る家はないと思って、涙が出た。」と言われましたが。) 女家庭の中にいたのが、縦割りの男社会に一人放り込まれ、今まで昼まで惰眠を貪っていたのが、朝6時起きでトレーニングを強いられ、肉と牛乳だけで大きくなった背だけひょろひょろ高かった身体も、何でも食べなければ体が持たない、野菜は食べたくないなんて言えば横から手が伸びてくるような環境のお陰で3ヶ月後に初めて家に戻ってきた時には肉付きも立派になり、顔つきまで変わっていました。 弟がプータローな生活をすることになったことにもそれなりの経過があり、無駄に思えたあの一年も彼にとっては必要なことだったのかも知れないと今は思います。あれは彼の人生の分岐点だったんだろう、と。 自分探しにイラク入りした彼は、なぜ、他のことで、目的を果たそうとしなかったのか? 世の中にはボランティアが必要な紛争地区や難民地区は山とあって、そう言う環境に身を置いて自分に何が出きるのか、自分の力を試したいなら、そういう正規のルートがあったはず。 それこそ日本国内にだって、人の手を必要としている場所は、いくらでもあるはず。 「自分探し」と言ったそうですが、私には彼は「現実逃避」していた様にしか、見えない。 ボランティアではなく個人で行くなら、「いざとなったら逃げればいい。」と思ったんじゃないのか? それが間違った考えかはともかく 命がけで自分達の存在する意義と戦っている人達相手に 現実から逃げている 夢物語の中に住んでいる彼が土足で踏み込み支払った代償が 彼自身の命だった そう思えてなりません。 それでも、死んでしまったら、悔い改めることはもう、できない。 彼には生きて帰ってきてほしかったです。
by KanaTachibana
| 2004-11-03 02:45
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